【ギフテッドな日々】障害と天才の挟間より速報

動作性IQ141ギフテッド。そんな人の視点から見た世界をつらつらとつづっていきます。

退屈過ぎて心が死ぬ

 仕事に行きたくない。しんどい。

 

 ここ数日、ずっとそのような状態が続いている。別にいじめられているとか理不尽な仕事をさせられているとかではなくて、真綿で首を絞められているというか、うすーい遅効性の毒を常時吸わされている気分というか、そんな感じ。

 

 どうしてそんな事になってしまっているのか、今なら分かる。工夫や発想を必要とし、知的好奇心を満たしてくれるなにかが今の仕事から消え失せてしまったからだ。

 

 誤解のないように言っておくと、今の職場は控えめに言って最高です。給料も福利厚生も良いし、人間関係も良い。用事があれば早退させてくれるし休みも融通をきかせてくれる。パートだからというのはありますが、ここまで待遇のいい会社ってなかなかないんじゃないでしょうか。客観論じゃなくて、本当にそう思う。それなのに。

 ついこの間まで仕事が楽しくて仕方がなかったのに、ある瞬間から突然スイッチがOFFになってしまいました。多分、この職場で、今の私の立場でやりたい事はやり尽くしてしまったんでしょうな。このON、OFFスイッチの極端さは多分、異常なんだと思う。

 

 今まで工夫を凝らしてきた仕事がルーチンワークに変わってしまう。一度その分野でトップを取ったらもう飽きてしまう。どんなに周りが褒めてくれても、同じ事を延々と達成し続ける事は私にとってたまらなく苦痛なのです。

 

 そういえば息子の「学校に行きたくない」も、最近少しずつ真に迫ってきているような気がする。

 

 なんで学校に行きたくないのか聞いたら、「つまらない」「めんどうくさい」ですって。その気持ち、本当によく分かる。私もよく仮病使って休んでたな。みんな一律のテンポで進んでいく学校の授業は本当につまらなかった。

 だから一時期、小学校の三、四年生くらいだったかしら。一人でどんどん教科書を進めていた時があって、もう自分で勉強を面白くしようとしてた。そしたら周りの子達が6人も7人も集まってきて、「ねー、ここ教えてー!」「次おれねー!」って。

 私はその日、家に帰って部屋の隅っこで膝を抱えて泣いてたらしい(母談)

「なんでみんな私に聞くの」「先生に聞けばいいじゃん」ってね。

 

 息子も「ぼくは本を読みたいのに、〇〇くんがあそぼうって、何回もさそってきてこまってる」とよく言う。こういった事を書くと、「なんだよ、自分は人気者って自慢かよ」とか言われそうだけれど、本当に困っているのだ。誘ったり、聞いてくれる子の好意が分かるからこそ、なおさら。

 

 自分の欲求や知的好奇心を満たしたいのに、なんでそれを押し殺してまで自分の時間を他人の欲求のために使わなければならないのか。

 

 私は昔、息子は今、うまく表現できなかったその疑問に、いわゆる正常な大人達はこう返す。「友達に誘ってもらえるのは嬉しい事だよ」「友達は大事だよ」って。言葉の裏側の本質に対して全くとんちんかんな回答であるばかりか、「君の感覚はおかしい」と暗にこちらを否定してくる。そんな環境で育つから勉強が嫌いになり、間違っているのは自分であり、他人をつまらない、と感じてしまうようになる。

 

 全てを一律の価値観で平均化するのではなく、早い段階で誰か一人でも「みんな違ってみんなイイ」を心から言ってくれる人がいれば、私も今とはだいぶ違う道を辿っていたんだろうなぁ。

 

 

 

 余談ですが、息子と学校生活について話をした時に、「じゃあ(ギフテッド教育が進んでいる)アメリカの学校に行っちゃうー?」と、冗談半分、真面目半分に言ったら「アメリカは北ちょうせんとせんそうするからやだ!」ですって(でもお母さんは、これからも君に学校生活という、ギフテッドにとっては長い長い無駄な時間を過ごさせてしまうかと思うと居ても立ってもいられないのですよ……)