忘れ物を取りに
WAIS-Ⅲの検査結果&所見をもらってから、ずっと考えていたことがある。
今の人生を後悔はしていないけれども、大学に行っていたらまた違った道が開けていたのではないかと。私にとって、もっと生きやすい人生になっていたのではないかと。
旦那様に見る落ちこぼれた天才の末路
先日、いつもの雀荘(旦那様の元職場)に遊びに行った時に、そこのオーナーさん、店長さんと少し話す機会があった。
旦那様はおそらく私よりもIQが高い。“目”のいい私がそう思うのだから、多分、間違いない。
彼は天才。多くの従業員を見てきたけれど、今までこんなに仕事のできる人はいなかった。でも意志も覚悟もあまり感じられなくて、組織としては扱いづらい。そして私生活や金銭管理など、社会人としてはかなり問題がある。何か守るもの(家族とか)や、目的があれば変わるんじゃないか。
旦那様についての評価はおおむねそんな感じだった。
うわぁ、やっぱりそうなんだぁ。
というのが最初の感想。
それから、旦那様も私と同じじゃん、という嬉しさと親近感。そして最後に、私達みたいな人種はやっぱりそういう評価を受けるんだ、という絶望感。なんだか色々な感情が出てきて、いたたまれなくなってきてしまった。
旦那様は周りを押しのけてまで自分の意見を主張するということはしない。それは、誰しもが正しくて、尊重されるものだと考えているから。そして社会には、上が司令塔である、というルールがあることもちゃんと知っているから。
そして、人は生きてさえいればいいという価値観がある。これは真理だと思う。だって今の社会的システムだって、究極を言えばできるだけ多くの人が、無事に生きていけるように確立されたシステムなのだから。
何も考えていないようでいて、旦那様はちゃんと真理は捉えている。何も間違ったことはしていない。
実際に仕事は優秀だし、会社の仕組みにも適応している。なのに「犠牲を払ってでも俺がやります!」みたいな気概とか、「安定した生活を送っています!」みたいな潔白証明的なのとか、真理や実績からしたらぶっちゃけ二の次三の次の部分で評価されてしまっている。それがもう、たまらなくしんどい。
旦那様は教育学部を中退しているが、(中退したことを)毎年後悔する、と言っていた。
私は大学を受けてもいないが、今はその言葉が身にしみて分かる。多分、私と彼で、後悔の理由を表現する言葉は違うのだろうけれども。
雇い主に評価されたい、という意味ではない。今の世の仕組みの中で、自分のしたいように生きるには、やっぱりそれに応じた学歴が必要なのだ。
今から大卒資格を取る、という選択肢
しかし今から大学に通い直す、というのは現実的ではない。なんといっても私はシングルマザーなのである。息子との生活もあるし、養育費、生活費も全て自力で稼がなければならない。
大学はさすがに無理か……と半ば諦めつつも、Google検索していましたらなんと。
ありました。
私の希望を叶えてくれそうな大学が一つだけ。
昭和56年に設立された、通信制大学です。テレビ、ラジオが主体の時代からあるものだから、放送、という大学名なのでしょうが、今は時代に即してインターネットでも授業が受けられるようです。自分の好きな科目だけを学んだり、資格取得に役立てるのはもちろん、全科履修生として入学すれば、将来的には学士号、修士号の取得も可能。
え、マジで……?
本当に今から勉強できるの……?
私は夢中でページを繰りました。
放送大学の入学情報
調べてみると、出願期間は以下の通り。<2019年4月入学>
[第1回] 12月1日~2月28日
[第2回] 3月1日~3月17日<2019年10月入学>
[第1回] 6月15日~8月31日
[第2回] 9月1日~9月20日(予定)
そして気になる学費ですが、
大学卒業資格を取得するまでに必要な学費は、約70万円(入学料+卒業に必要な124単位を修得した場合の授業料)。
入学時に全額を払い込むのではなく、学期ごとに、履修科目分の授業料を支払っていく方式のようです。
期日間に合う!!!
授業料もこれくらいなら何とかなりそう!!!
その後は即断で資料&願書請求ボタンを押して、学習のための手当てが受けられないか、市役所にハローワークにと飛び回りました(職能訓練としての資格取得が目的なら援助を受けられそうですが、まず大卒資格を取ることを経由しての資格取得には適用されなさそうです。もともと大卒を持っていて、資格を取る場合は別ですが)。