【ギフテッドな日々】障害と天才の挟間より速報

動作性IQ141ギフテッド。そんな人の視点から見た世界をつらつらとつづっていきます。

卒業とはネクストステージへの通過儀礼である

 今週のお題「卒業」

 という訳で、年度の終わりと共に退職&転職を決めた私にちょうどいい感じだったので、初お題に挑戦してみる。

 広義の意味での卒業と、いわゆる学校などの卒業との明確な違いは、卒業を自分の意思で決めるか否かだと思う。

 学生なら、小学校なら6年間、中学校なら3年間、高校なら(留年さえしなければ)3年間と時間的な枠組みがあり、その時間が過ぎ去れば自動的に卒業となる。流れ作業と言ってはなんだけれども、時の流れが否応にでも次のステージに運んでいってくれる。

 しかし大人の場合にはそうはいかない。何かを卒業するか否かは自分自身で決めるのだ。

 極端な話、大人にとって卒業は必須ではない。別にしなくたっていいし、しなくても十分生き延びられるのだ。社会人になって何らかの仕事をして、定年まで勤めあげればそれはそれで一つの卒業にはなるのだろうけれども、それは自分の意思で選んだ卒業ではない。では自分の意思で選ぶ卒業とは何か。それはこれまで継続してきた何かを自分の意思で断ち切ることだ。仕事でも趣味でも結婚生活でも、継続していた何かを手放すこと。そして引き換えに、別の何かを始める自由を得ること。これが私が思う、大人の卒業の定義なのだ。

“生きる”ための卒業

 前回のエントリーで“生きる”と“生き延びる”の違いについて書いたのだけれども、私はより自分らしく“生きる”ために退職をした。

 超安定企業を卒業し、安定した生活と引き換えに別のステージに立つ権利を得たのだ。

 人生の時間は限られている。1日は24時間であり、1年は365日で、人生の時間はおおよそ80年といったところだろうか。やりたい事があるのならば、その限られた時間の中でやるしかないのだ。今の仕事が落ち着いたら……もう少しお金が貯まったら……子供が手を離れたら……と、今、それをやるのは難しいから未来に託す、という理屈も分かる。実際、どう考えても今やるのは無理な場合もある。でも本当に本当に無理なのか、準備すらもできないのか、熟考してみる価値はあると思うのだ。過去と違って未来は変えられるが、未来はどうなっているか分からない。時間やお金に余裕があるとも限らないし、現在の情熱は消沈しているかもしれないし、もしかしたら死んでいるかもしれない。だから今やりたいことは今やるのだ。

 しかし今がカツカツに詰まっているのならば、何かを手放さなければ新しい何かを始めることは難しい。大人にとっての卒業とは、言い換えれば既得権益を手放す勇気だと思う。自分の人生の時間をどう使うか。それを吟味した結果、卒業という行為に至るのだと思う。

卒業後の進路

 私はシングルマザーで、子供の世話と仕事で手いっぱいにもかかわらず、通信制の大学生になってしまった。なおかつ“やること”だけでカツカツにせず、きちんと息抜きの時間も確保したいと思っている。

 結果、私は今、雀荘で働いている。

 時給は500円下がった上に、その時給すら残るかどうかわからない。けれども残業がなく、仕事と家庭の折り合いもつくし、麻雀という息抜きの時間を節約することができるし、節約した時間は勉強に回すことができる。この選択は生活の安定以外の全てを得られるのだ。生き方を選ぶのは生活の安定あってこそ、と思う人もいるだろうけれども、生活については、これ以上はまずい、というボーダーラインを敷いて、そこに到達してから考えればいいのだ。

 趣味を仕事にして、勉強を趣味にする。我ながらなんとも素晴らしい生活だろうと思うけれども実際はそんなに甘くはない。当然、趣味も仕事にするならば結果を出さなければならないし、そのためにはそっち方面の勉強もしなければならない。だがこれも、実は私の作戦の一つなのだ。

 これまで麻雀は息抜きだった。好きだけれども、上手くなるとか勝つために勉強するかといったらそこに時間は割きたくなかった。息抜きについて勉強する時間は、卓上でのコミュニケーション込みで楽しんでいる私にとって息抜きではなくなるからだ。そして私の24時間枠に、これ以上のプラスアルファをぶちこむスペースはない。上手くなりたいという気持ちはあっても、麻雀の勉強の優先順位は常に圏外だったのだ。

 ならば麻雀の優先順位を上げてしまえ、というのがこの暴挙とも言える転職である。

 仕事にしてしまえば絶対に勉強をする。少なくとも私はする。上手くならなければおまんまが食えないからだ。

 やっていける自信があるからやるのではなく、そういう環境に身を置くことで強制的に環境に見合った能力を身につけようという寸法だ。自分を変えるための方法として、習慣化しよう、まずやると決めよう、などと生ぬるいことを言っていてもまずやらない。環境が人を育てる、というのは多分、本当だ。思いと環境の二つがあれば、それは必ず実る。本気ならば自ら環境を作るか飛び込むかして、行動の優先順位を変えてしまえばいいのだ。

 客観的に、常識的に見たら、今回の転職は狂っていると思う(特に、実行してしまったあたりが)。一応、私の中ではいくつかのセーフティが張ってあるので言うほどリスクは高くないつもりなのだが、常識的な感覚の持ち主からしたら高リスクに映るのかもしれない。