【ギフテッドな日々】障害と天才の挟間より速報

動作性IQ141ギフテッド。そんな人の視点から見た世界をつらつらとつづっていきます。

面白い遊び思いついた

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 短所と長所は表裏一体。自称、自閉症スペクトラムの私です。
 今回は悪い面ばかりではなく、良い面(?)の話。といっても、お遊びですが。せっかく“内的思考、分析力、再構築して表現する能力”という長所があるのだから、それを活かして何か面白いことはできないかと考えてみたのです。

 で、結果、ちょっとした遊びを思いついたので、興味の湧いた方はぜひお付き合いいただければと思います。

 まずは下の、短いお話をお読みください。

ワインの瓶

 ある日、仕事からアパートに戻ると、玄関のすぐそばにワインの瓶が転がっていた。
 開封済みで、八割方飲み干されたと思わしき赤ワインの瓶。側面に盛大なひびが入り、周囲に作ったボルドーの池に沈んでいる。その赤ワインの瓶が、いったいどういう経緯でこんな状態に陥ってしまったのかは定かではないが、とにかく現実は現実としてそこに存在している。

 私が住んでいるのは築四十年ほどのボロアパートだ。風に乗って木の葉や、紙くずが通路に舞い込んでくることもざらで、管理人の清掃が徹底しているかと言われればそうでもない。もしかしたら照明代わりに設置しているのではないかとさえ思う殺虫灯の周囲には、小さな虫の死骸が無数にこびりついていた。ワインの瓶に対し、雑多なごみと同程度の認識だけを残して、私は203号室の扉を開けた。

 広くはなくとも慣れ親しんだ自室に戻るなり、スーツの上着を脱ぎ捨て、投げ出したカバンと共にソファに身を沈める。連日の残業で身体は重く、一刻も早い休養を求めていた。帰宅後の癖のようなもので、ソファのひじ掛けに常備してあるリモコンに手を伸ばし、テレビをつける。チャンネルを変える習慣のないテレビは今日一日の出来事を事務的に垂れ流し、私は聞くともなしにその情報を享受する。
 味気のないBGMを背景に微睡みながら、ある瞬間に、ふと我に返る。気が付けば時刻は23時を回っていた。シャワーを浴びて、着替えなければならない。ソファの上で朝を迎えてしまうと疲労が抜けない上、身体中が痛くなる事は身をもって証明済みなのだから。
 深夜バラエティーに切り替わっていたテレビを消し、脱ぎ捨ててあったスーツをハンガーにかけてからバスルームに向かう。洗濯機の容量もそろそろ限界が近い。明日こそ回す決心をつけてから、冷えきったバスルームで身震いをする。
 熱いシャワーを浴びると眼が冴えてしまうのは自明の理だが、欲望に忠実に、一日分の垢を洗い落としていく。バスルームを出たら後は寝間着に着替え、ベッドに潜り込むだけだ。少し目が冴えたところで、スマートフォンは敢えて触らないようにしている。明け方近くになって眠れずに焦った経験は、きちんと活かすべきだろう。時刻は23時43分。目覚まし時計が指し示す現在時刻のみを確認し、私は部屋の電気を消した。

 けたたましいベルの音に身を震わせる。
 睡眠を強制的に中断させる大音量は、毎朝のことながら全く慣れない。時刻はいつも通りの6時10分。目覚ましのベルを止めてから、私は不機嫌に目元を擦り、髪をかきむしった。
 ベッドから這い出し、洗顔と歯磨きを済ませるとようやく本当の意味での目覚めがやってくる。朝食は食べない。出社前に駅構内の喫茶店でコーヒーを飲むだけだ。昨日ハンガーにかけたスーツに、今日もまた腕を通しながら、今日一日のスケジュールを頭の中で確認する。今日は二件、顧客との面談の予定が入っていたはずだ。先に資料を用意して、面談の合間に恒常業務をこなす算段を立てる。昼食は会社の斜向かいのホテルに入っている一階のサンドイッチ屋がいい。後輩の女性社員がやたら勧めていたから、という訳ではないが、今日はそんな気分だった。

 いつもの黒いカバンを携え、玄関を出る。肌寒い空気の中、昨夜のワインの瓶はまだそのままになっていた。玄関に鍵をかけ、コンクリートの通路に染み込んだボルドーを踏まないように気をつけながら足を運ぶ。駅までは階段を下って5分も歩けばすぐそこだ。霧がかったいつも通りの雑多な街並みに、人通りはまだ、少ない。

答え合わせ

 はい、お疲れさまでした。
 いきなりオチもない、小説の一部分を抜き取っただけかのような小話を読んでいただいた訳ですが。もしかしたら深読みして、色々考えながら読んだ方もいらっしゃるかもしれませんが、残念ながらミステリーのトリックみたいなものは一切ありませんw
 ただ、この小話にはちょっとした仕掛けが施してあります。今あなたには、この小話を通して、ある性格特性の感覚を追体験してもらいました。

 それは、サイコパスの思考。

 文章中に出てきたワインの瓶を、人間の死体に置き換えてみてください。
 自室の前に死体が転がっていれば、普通は慌てたり、恐怖したり、取り乱すかと思います。その人の生死を確認したり、警察や救急や知り合いに連絡したり、それはもう色々な行動が出てくるかと思います。
 しかしながら、サイコパスであればおそらく、文章中と同じような行動を取るでしょう。自室に入ってだらだらと休み、いつも通り自分の事を考え、普通に次の日に出社していく。家の前で人が死んでいようと、サイコパスにとってはどうでもいいのです。それこそ、少し大きいゴミが転がっているような感覚なのではないでしょうか。

感覚追体験ゲーム(仮)

 いや、でもゲームではないしな。抒情トリックの応用、みたいな。なんかいいネーミングないですかね。今回の習作で、ちょっとでもゾクッとしてもらえたら、作った側としては嬉しいのですがw

 でもこの遊び、応用価値あるんじゃないかな。例えば自己啓発の本とかでは、こういう風なマインドを持てばいい、みたいに書かれているじゃないですか。そういう気持ちに意図的になる、って、無理矢理感あるじゃないですか。こんな感じで実際に、成功者の感覚を疑似体験できた方が効果的なんじゃないかと思ったり。発達障害関連もそうですね。健常者の方に、どんな感覚なのかを少しでも分かりやすく伝えるための一助にはなれる気がするのです。

 辛口でも甘口でも結構ですので、実際に体験していただいた方の意見を聞きたいので、もしも何かあればコメント欄にお願いします。こんな人の疑似体験してみたい! とかでも。それを元に、気が向いたらまた何か作るかもしれません。