【ギフテッドな日々】障害と天才の挟間より速報

動作性IQ141ギフテッド。そんな人の視点から見た世界をつらつらとつづっていきます。

手持ちのカードでなにが出来るか

昨日、ようやっと家に帰ってこられたのでさっそくブログを再開してみる。
その際、ここまでに書いた記事を読み返してみたのだけれど、なんだか面倒臭い人間だなぁ、と自分ながらに思ってしまいました。現状、行く事も退く事も出来ず、ただ悶々と自問自答を繰り返しているだけの人間。うん、面倒臭い。

当たり前に進学して、当たり前に就職して、結婚して子供を産んで、生きるためにお金を稼ぐ。この流れ。
人間が安全に、簡単に、効率的に生存していくために創り出したこの社会的システムはとても素晴らしい。だってこの流れに乗っかってさえいれば飢えて死ぬ事はないんだもの。目も見えて、耳も聞こえて生きている。それだけでありがたい事だ、と旦那は言う。多分、旦那は身近で人の死を経験しているから、心からそう思えるんだと思う。

死んでしまったらダメだ。全てが終わってしまうから。
でも多分、私は目が見えなくなったらピアノを弾くんだと思うし、耳が聞こえなくなったら今よりももっと文章を書くんだと思う。

生きているだけでありがたいから他に何も望まない、という事ではなくて、今、自分の手元に配られているカードで何をするのか、というのが人生の命題である気がしている。
生存している、というんではなくて、生きる、って事ね。

今の私が生存するための一番楽な方法は、退屈な仕事をひたすらループする事だけれど、それだと“生存”と“生きる”が両立しない。だからといってその方法を手放すと、今度は“生存”にリスクを負う事になる。一人なら自己責任だが、我が子も一蓮托生だ。けれど私が“生きる”事を証明できずに、どうやって同じ特性を持つ息子がこの社会で“生存”し、かつ“生きる”事が出来るようにサポートすればいいんだろうか。

ああ、ここまで書いて気付いた。
この強烈なジレンマを解消……まではいかないけれど、緩和して前進する方法が一つある。

それは今の仕事で、“出来る人を辞める事”だ。

成績にも給料にもこだわらない。別に+αの業績給なんてなくても生存はしていける。余計な仕事も引き受けない。時間的自由と引き換えにパートでいるのに、残業をしてまでお金を稼ぐ必要はない。
そして、これが一番つらいのだけれども、周りの信頼を裏切る事を受け入れる。
私の仕事を信頼して何も言わないでいてくれるチームリーダーや、能力を見込んで仕事を任せてくださっている所長の期待を裏切ってしまうのです。なまじ仕事が出来ない訳ではないから、やらない(やれない)事を心苦しく思ってしまう。申し訳なさと、後ろめたさと、今までは出来ていたという自負とがあって、無理に頑張ってしまう。あ、これ、もろに鬱の原因っぽいですね。

今の仕事で“生きる”事は諦め、仕事に掛ける時間と労力を最低限にまで抑え、仕事以外の時間を作ってそこで“生きる”。
多分、これが、仕事は嫌だけれど生活のために仕方なく頑張っている人達のガマンのかたちに近いのかなと推測。

そのために必要なのが、“出来る人を辞める事”だったのだ。

時に心苦しく生きづらい“生存”の枠組みを発明したのは人間社会だけれど、“生きる”喜びになり得るピアノやパソコンを発明したのも人間社会だ。
だから私は、枠組みで統制された社会を恨むのではなく、自分だけを信じて一人で突き抜けるのでもなく、上手に社会と共生したいと望む。

何も考えずに、配られたカードをただそのまま場に出し続けるのではなく、きちんとゲームがしたい。ゲームをしている風の、うわべだけのやり取りではなくて、本心から社会と仲良くなりたい。

“生存”と“生きる”が同時に成立し続ける状態が理想だけれど、とりあえずは前者と後者が互いを侵食し合わないようにバランスを取っていければいいかな。その間に、新しいカードが配られるのを待とうと思う。たとえ今、手の内に弱いカードしかなくても、ゲームに参加し続ければ革命が起きる事もあるのですから。