【ギフテッドな日々】障害と天才の挟間より速報

動作性IQ141ギフテッド。そんな人の視点から見た世界をつらつらとつづっていきます。

大切なもの

 少し前の話、私がうつで病院を受診する前に、友人がLINEで『本当に大切なもの』は何か、という話を振ってきた。

 パソコンが壊れた事をきっかけに、『本当に大切なもの』について考えてしまったらしい。画像とか写真とか音楽とか、高校時代に一緒に書いていた小説とか。そういうものがごっそり詰まった箱が壊れて開かない。そして考えた結果、時間とか、お金とか、失えばもったいないなとは思うけれども、本当に大切なものってそんなにないな、という結論に達したらしい。

 そんな友人にマジレスしてみた。

 まず大前提として、息子。今はメンタルが安定しなくて、相手をするのが正直しんどい時がほとんどではあるけれど、それを差し引いても、息子がいなくなってしまったら本当にどうにかなってしまうんではないだろうか。それくらい可愛いし、大好きだし、愛している。
 しかし友人は未婚のため、子供の話は置いておく。それ以外で大切なもの……というと。

①時間
②自分が自分である事

 という結論に至った。

 まず①時間。これは=自分の命、だから。
 自分には、生まれてから死ぬまでの限られた時間しか与えられていないと思えば、その限られた時間の中で、何をするか? 何をしたいか? という事になる。よくドラマや小説で、余名〇ヶ月、とかいうシチュエーションがあったりするけれども、それって全ての人間に対して言える事なんじゃないかな。今から私が寿命を全うしたとして、あと50年くらいは生きられそうだけれど、それだってタイムリミットは50年なんだ。永遠に続くわけじゃない。世の中にはものすごくたくさんのコンテンツが溢れていて、しかもそれは日々更新されていて、全てを追っかけて堪能するのは無理だ。だから、自分は何をしたいか。選ばなければならないんだと思う。

 次に、②自分が自分である事。については、自分が自分でなくなる=自我の崩壊だから、そうなってしまうと死んだも同然かな、と。私でないままあと50年生きたって、それは私ではないんだから意味がないというか。そして①の時間にも通じる事だけれど、①時間、って“自分に与えられた時間”って意味なんですよね。だって別に、私が生きていようが死んでいようが、時間は等しく平等に流れていくものですし。

 つまり①②合わせて、自分を生きるという事。作戦『いのちだいじに』って事。

 きっと私だけじゃなく、同じように悩んでいる発達障害(ギフテッド)って、自分を生きられていないから辛いんだ。世間と折り合いをつけながら自分を生きるために、頑張りすぎちゃうからうつになるんだ。

 このやり取りをきっかけに私は「よし、仕事、辞めよう」って思ったのですが、実際は既にうつに侵されている状態だったので、自分の判断がいまいち信じ切れなくてちょっと保留中w 休職明けにまたよく考えてみようと思う。



 大切なもの、って何だろう……
 そう言っていた友人は、日曜日にヤマダ電機にパソコンを持っていったらしい。HDD破損でWindows立ち上がらず。大切じゃないものに囲まれる大切な日常のために、友人はすぐにパソコンを買い替えるんだと私は思った。