【ギフテッドな日々】障害と天才の挟間より速報

動作性IQ141ギフテッド。そんな人の視点から見た世界をつらつらとつづっていきます。

共依存から抜け出した経緯(+お礼&謝罪)

 毎回こうして言及してしまうのもなんですし、コメント欄が見当たらなかったのでもう一度だけ。
 前回の記事『モラハラ夫の生態』で記事引用させていただいた方に誤解を抱かせてしまったようでして……気を遣っていただいてありがたく、そして申し訳なかったので、その誤解だけは解いておこうと思ったのです。

『もしも、何か誤解を与えてしまったのなら申し訳ないです』。。。 - 異星人と交信した結果、撃沈。。。。。。。。。。。。。。。。。。

 またまた勝手に引用してしまいました。気に留めていただき、ありがとうございます。

ブログ主さんへのメッセージ

 まず、“愚痴るのは悪いことだ”“いつまでもぐちぐち言ってないで前を見なきゃ!”みたいな誤解はしていないので大丈夫です!
 コメントや引用をする時は、ちゃんと他の記事も見て、ある程度その方の人となりを知ってからするようにしています(全然足りていないかもしれませんが……)。ブログ主さんは本当に共感能力が高くて、それゆえにたくさんの苦労もされてきているのかな、とも……
 そんな方だからこそ、たまたま見かけただけの知らない人のブログにも共感して、自分が傷つけてしまったのでは……と気に病んでいらっしゃるのではないかと思ったのです。これこそ、私の勘違いだったら申し訳ないのですが。

 むしろ(ある程度表現は選ぶにしても)息子に離婚の経緯を説明しなければならなくなった時、どうしても元旦那の事を思い出さなければいけなかった。そんな時に、自分や周りに迷惑を掛ける人間に対しての思いを赤裸々に吐露しているブログに出会えた事で、私も自分の思いをまとめるために、以前に自分を苦しめた人の事を書いてしまってもいいかな、と思えたのです。

私がモラハラ夫との関係を断つための素質を養ってくれた出来事

 元旦那とお付き合いする以前、お恥ずかしながら私は不倫関係にありました。
 相手は元上司。当時、好きだった人に振られ、傷心状態の私につけいった。と、元上司本人が、私と付き合った直後に豪語していました。私を応援しているふりをしながら、自分になびかせる自信があったと。
 ただ、間違いなく私も世間知らずの子供だったのです。私と付き合いながら、元上司は日々、不満を漏らしていた奥様との間には二人目の子供を作りました。それでも私はまだ元上司の事を信じていました。その後、三人目の子供が出来た時になって、ようやく信頼も愛情も冷めていくのを感じました。

 この人には私がいなければダメだ。その思いが、共依存という病んだ関係である事に気付くまでに三年掛かったのです。

 私が離れようとすると、「お前は得るものだけ得て、得るものがなくなったらそうやって捨てようとするんだな」とやはりモラハラで自分につなぎとめようとしてきました。元旦那とお付き合いする事が決まった時でさえ「最後にヤラせろ。じゃないと俺も納得できない」と言ってきました。このモラハラ不倫関係に終止符を打ってくれた元旦那が、同じくモラハラ男だったというのはなんとも皮肉な話ですが。

 ともあれ私はこの経験によって、自身の共感性の高さ故、他人を利用して自分を満足させようとする(傾向の強い)人間と共依存の関係に陥ってしまう危険性がある、という事を学習したのです。

共依存から抜け出した考え方

 この、共依存、という言葉を知らなかったら、私は元旦那との離婚に踏み切れなかったかもしれません。
 私が見捨ててしまったらこの人は誰にも理解されず、本当に一人になってしまう。そう思ったら、共感性の高い人間は自分を優先する事ができないのです。

 幸いにして私は感情の強い人間でありながら、理屈や根拠が明確であればそれに沿って軌道修正できる、という反する特性を併せ持っていました。
 自分は自分の人生を生きた結果、今の自分になり、他人(この場合は元旦那)は他人の人生を生きた結果、今の他人になっている。そして大人になった今、自分の人生、特に先の人生には自分で責任を持たなければならない。

 私は私の人生を自分で選ばなければならないし、それを他人に左右される必要はない。指図されるいわれもない。それは元旦那も一緒で、私や周りに合わせて無理をする必要はない。その結果、周りから人が離れていったとしても、それは元旦那の自己責任という事になる。

 結婚という契約を交わした以上、元旦那と共存していくために、私は自分に出来る範囲であらゆる手を尽くしました。手を尽くして、それでもダメだった時に、ふっと諦めの気持ちが湧いてきたのです。

 自分と他人を切り離して、独立した一個人として、それぞれが尊重されるべきものとして考える。それが共依存から抜け出す道でした。

私の在り方

 元旦那は自分に悪い部分がある、生きづらい部分がある、という事を理解していたように思います。以前の私だったらその気持ちに寄り添い、どん底まで付き合っていったのだと思います。抑うつ状態まで陥り、精神的に限界になった末の離婚ではありましたが、破滅にまでは至らず早期に回復できたのはきちんと“切る”事が出来たからだと思っています。

(記事前半に記載したブログ主さんへ。これこそ責めているように感じたらごめんなさい。クズ太郎とうちの元旦那はおそらく人種が違うのであろうし、あくまでも私の体験談です)

 私は元旦那よりも、自分を優先したのです。
 私には彼を救えない。そう諦めたのです。
 そして同時に、こちらの価値観に彼を合わせようとするのではなく、彼の在り方そのものを尊重したのです。見放す、という形で。


 オチも何も考えずに書き出してしまったので、以前に私を苦しめた人(元旦那&元上司)→その原因の一端が共依存共依存についてのお話、みたいになってしまいました。

 私は時に情に厚く、時に人を切り離せる、両極端な人間なのかもしれません。

 だから実際に元上司や元旦那のモラハラにあっていた時はたくさん愚痴も言いました。けれど今は、本当になんとも思いません。こうして敢えて書き出せば、当時のもやもやや苛立ちを思い出しもしますが、その程度です。変わった人間である、という自覚もあります(それゆえ、こんなブログタイトルにさせていただいています)。


 こんな私に気遣いを掛けていただいた事、本当に嬉しかったです。ありがとうございます。