【ギフテッドな日々】障害と天才の挟間より速報

動作性IQ141ギフテッド。そんな人の視点から見た世界をつらつらとつづっていきます。

“なんとなく禁煙”で煙草はやめられるか

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 煙草や灰皿の画像は目に毒なので、爽やかな青空をどうぞ。


 最近、周りで禁煙外来が流行っている。
 職場で向かい席のYくんもヘビースモーカーで有名なHさんも禁煙外来でやめられたらしい。そして禁煙すると、やはりお金がたまるらしい。

 それはそうだ。
 一日半箱強の中堅スモーカーな私ですら、禁煙したとしたら月1万円、年間12万円も浮く計算になるのだ。年間12万あったら、これからかかる放送大学の授業料がかなり助かるではないか。そう思って、“なんとなく禁煙”を始めてしまった。

 “なんとなく禁煙”とは私が勝手に作った造語だ。

 本格的にやめよう、と本腰入れて取り組むのではなく、なんとなくでやめられたらいいなー、という甘い考えの元、始める禁煙が“なんとなく禁煙”だ。

 なので禁煙外来にも通わない。妊娠や転職時の禁煙でお世話になったニコレットガムも使わない。

 吸いたくなったら吸ってもいい。そんなゆるーい禁煙。

 これが意外と罠だった。

吸いたいけれど吸いたくない

 当たり前だけれど禁煙をするとめっちゃ煙草を吸いたくなる。

 煙草はめちゃくちゃ美味しいけれど、不味いのだ。

 どういう意味かというと、吸った時はふわーっと気持ちよくなれるのだが、その後が……
 口の中が煙草の味になるし、のどはいがらっぽくなるし、口が渇くし、頭痛や吐き気の元になったりもする。それなのに、吸いたい、という強烈な欲求に襲われて吸ってしまい、一時の安心感と引き換えに、また不快な症状に見舞われる。どう考えても不毛だ。

 そもそも煙草という存在がなければ、そういう不快な症状と付き合わなくてもいいわけだし、吸わなければ、吸った時の爽快感がない代わりにイライラ自体もなくなるのではないか。


 吸えない時のイライラは煙草のせいだ。煙草の呪いだ。ここで吸ったら、またニコチンの供給連鎖に巻き込まれるぞ。せっかく○○時間吸わずにいたのに、なんてもったいない!


 ……そう。この“MOTTAINAI”が、“なんとなく禁煙”の罠なのです。


 いつ吸ってもいいよー、と、自らゆるーく予防線を張っていたのに、このもったいない精神があるおかげで、なかなか吸う踏ん切りがつけられないのです。

 だってここまで我慢するのが辛い、ってこと、自分が一番よく分かっているじゃないですか。もうちょっとしたら、こんな吸いたい気持ちはどこかに消え去ってしまうのではないか。今が我慢のしどきで、ここを越えたら一気に楽になるんじゃないか。そんな幻想が頭をよぎってしまうのです。

 これ、禁煙したいんだか喫煙したいんだか、もはや分からないな。

などと煙草について書いてしまったがため

 かどうかは定かではないが。

 今回の“なんとなく禁煙”は36時間をもって幕を閉じた。めちゃくちゃ美味い!!!(笑)

 前回は9時間しか持たなかったので大分進歩だ←前向き過ぎ

 でも美味しかったのは最初の一本だけで、あとはやっぱり口に残る後味が気になったので、もしかしたら禁煙外来まで行かなくても、その気になればニコレットガムでなんとかなるんじゃないかと密かに思っている。

 結局人間、お金とか健康とか切羽詰まった状況にならなければ本気で動こうとしないわけで、理屈ではないのだ。煙草をやめた方が遥かに理があることが分かっていても、状況を変えるために手間(通院)とお金(医療費)が掛かるならば、今すぐやめるほどではないと思ってしまうのだ。

 その、吸うことによるメリットを必要以上に大きく感じてしまうのが、煙草の本当に厄介なところなのかもしれない。