【ギフテッドな日々】障害と天才の挟間より速報

動作性IQ141ギフテッド。そんな人の視点から見た世界をつらつらとつづっていきます。

機能不全子ども、爆誕。

こんにちは。色々アレな記事タイトルの答え合わせは記事の中で。
元機能不全子ども、MAI-KOです。

なんとなく情報サイトの記事をつまみ読みしていたら、少し引っかかる記事がありました。

元記事↓

news.allabout.co.jp

allabout.co.jp

えーと、アダルトチルドレン機能不全家族についてですね。


ざっくりと要約しますと、上記事には、
『親の過干渉が子どもの人生にレールを敷いてしまい、子ども本人もそれが正しい事と思い込みつつも、言いようのない違和感とストレスを抱えながら成長してゆく。そしてそれを社会に出て、気付いて、修正していくのに多大な労力を必要とする』

下記事には、
機能不全家族の中で育った子どもが、その時に身につけた“役割”は大人になっても抜けない』


というような事が書いてあります。
私のざっくり要約では細かいニュアンスが掴みにくいと思うので、お時間に余裕のある方はぜひ元記事にも目を通していただきたい。


さて。本題ですが、私が育った家は機能不全家族……ではなかったと思うし、「大学を出て大企業に就職して~……!!」みたいな事を強要される過干渉でもなかったと思う。

なのになぜこの記事に惹かれたかというと、私自身がイレギュラーだったから、普通の親の普通の干渉が私にとっては過干渉だったのではないか?という疑惑が湧いてきたからである。


引用記事と違うのは、私は幼少期から、親の言う「ああしなさい、こうしなさい、○○しないとダメ」は、世間的・大衆的に見た場合の多数決、というだけであって、それが“正しい事”だとは微塵も思っていなかった、という点。


とはいえ、子どもである自分が思う“正しさ”なんて、大人である親の思う“正しさ”の前では無力なのだ。

勝てるわけがない。親に自らの生存を左右される子どもが、親の支配・干渉を拒否出来るわけがないのだよ。


子どもであった私は、自分の考えをうまく相手に伝えるすべを知らなかったし、言ったとしても「屁理屈」「そういうものだから」という内容のない言葉で片付けられたものだ。
子どもだからそこまで深い考えはないだろう、と思われていたのかもしれないし、そもそも親自身、子どもの問いに対するきちんとした答えを持っていなかったのかもしれない。今となってはどっちでもいい。ただ、意志の疎通もできず、自分にとって納得のいかないものを一方的に押しつけられる理不尽が続くこの状況は、少なくとも子ども本人にとっては機能不全家族と大差ないのではないだろうか。


そして機能不全家族は、将来のアダルトチルドレンを生む。

All Aboutさんの下記事より引用させていただくと、

本来、家庭のなかに基本的なルール、安らぎやコミュニケーション、許し合い、信頼できる絆があれば、家族は安心して成長することができます。しかし、それが欠落した家庭で育つと、子どもは不安や恐怖、疑問を抱え、親の顔色を見ながら自分の生き方を考えようとします。

とあります。

機能不全家族で育った子供は、家庭の不和をつなぐ“役割”を果たそうとするそうで、よく見られる6つの特徴が以下。

(1) ヒーロー(英雄)
頭のいい子、スポーツのできる子、歌やダンスの上手い子、模範的な行動をする子など、世間的に評価される行動をとる「できる子」のことです。できる子になると親が喜んでくれるので、より高い成果を求めて頑張ろうとします。


(2) スケープゴート(身代わり)
ヒーローの正反対の存在である、「ダメな子」。家族に疎まれるようなことをする子どもです。いたずら、いじめ、乱暴、赤点など怒られるような行動をとったり、よく病気をしたり、誰でもできるようなことをしくじったりして注目を集めます。


(3) ロスト・ワン(いない子)
家族の中でもまったく目立たない存在の子。家族が集まる場所でもいつも隅っこの方にいて、仲間に加わりません。どこかにいなくなっても、いないことすら気がつかれないような子です。


(4) プラケーター(慰め役)
泣いている母親を抱きしめ、「ボクがそばにいるから安心して」などと慰めてくれるような子です。家族のストレスを癒し、心の支えの役割を担っている子どもです。


(5)クラン(道化役)
冗談を言ったりおどけたりして気を引き、家族の関係を取り持とうとする子どもです。ちょっとした笑いをふりまけば家族に一瞬笑顔が訪れますが、本人は心から楽しんでいるわけではありません。


(6)イネイブラー(支え役)
幼い頃から親の手伝いをし、きょうだいの面倒を見たりするしっかり者の子です。大変な仕事も喜んで引き受け、大人のようにてきぱき仕事をこなします。


私は(1) ヒーロー(英雄)に近かったかな。

ただし家庭の不和をつなぐ必要はありませんでした。
だって私以外は不和じゃなかったんだもん。


前述した通り、私は親が教えようとした“正しさ”を内面化しませんでした。腹の底では常に、絶対に自分の方が正しいと思っていた。(これ、高IQの部分ね)

だから自分を認めさせようとして、『自分のやり方で何かを成す』事に固執していたんだと思う。(発達障害的な過集中の部分は、あったよね)


つまり、自分と家族の不和をなんとかしてつなぎとめようとした結果が、ヒーロー(英雄)である事、だったんでしょうね。


高IQ、発達障害、自分にとってだけの機能不全家族、それが絡み合った結果、常に不和の解消を求める異常に生き急ぐ人格を形成してしまったんだろうなぁ。

もうすでに、親の顔色など気にせずに自分の人生を歩んでいける年齢なのに、子どもの頃に担った役割を続けている大人は少なくありません。

という記述があったのだけれど、その例の中に、「もっと頑張らねば」とせかされるように生きる人、というのがあって、ホント私じゃん。と思いました。三つ子の魂百まで。


今はそういう自分の生き方の癖や原因を知った事。また、ほんの一部の人とでも“つながれた”事で、少しは心穏やかになれましたが、油断するとまだ生き急ぐ癖が出ちゃう。長い事、これで生きてきたんだから仕方ないね。


ただやっぱり、こうして“己を知る事”で大きく前進できるよね。


認知療法って、こういう事だと思うの。自らの正体を知るのは大事。


私と同じように、生きづらさを抱えながらそれを隠して生きている人がいたら、そういう人の力になりたいと私は思う。臨床心理士遠いけど、とりあえず大卒資格取るとこから始めるよ。