【ギフテッドな日々】障害と天才の挟間より速報

動作性IQ141ギフテッド。そんな人の視点から見た世界をつらつらとつづっていきます。

発達障害者(ADHD)への対応方法を考えてみた

 よく読ませていただいているブログ、望月志乃さんの『ひびわれたまご ADHD当事者が楽を考えるブログ』のこちらの記事、

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 でも言及されていたのですが。
 今回は、発達障害は1から10まで説明しないと分からない? について、私も掘り下げてみようと思います。

論理的な発達障害

 例としてはこの記事がとても分かりやすいなぁと思ったのですが。

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 ここまでひどく(失礼!)なくても、同じような感覚は理解できます。クイズなどで面白い回答をしてしまうのも、感覚的な前提が分からない=固定観念に囚われない、という、特性が引き出すものなのかなぁ、とも。でも逆にですね、これって長所であるとも思うんです。もちろん、自身の体験談に基づくので、私や息子程度の障害&知能の人、の前提での主観になってしまいますが。

 知的障害のない発達障害は、理解力はありますから、逆に物事の判断基準がきちんとふに落ちれば、自ら正しい行動を選び取れるようになります。

 説明しがたきを説明する。これがキモになってくるのではないかと思うのです。

ADHDの息子に、難しいことを教える方法

 自閉症スペクトラムがメインで、ADHD傾向も併発しているうちの息子への対処方を例に挙げます。

 例えば、うちの息子が今一番困っているであろう対人関係について。自閉症スペクトラムの特徴の一つとして、同世代や大人数と、上手にコミュニケーションが取れないんですよね。息子への教育は、普通に教えるのでも難しい対人関係について、ADHDというフィルターを越えて届けなければならない。だからまずは伝える側が、正確に、言葉にして伝えられるように、物事の本質を真に理解していなければならない。私なんか周りに対して、それができないからお前ら無能なんじゃないか、とか思ってしま(以下略

 うちの場合は、“対”を教えるところから始めています。

 大きくは心と身体。あなたは一つのものだけれど、心(感情)と身体(実際に現実世界で表す行動)に分けられるんだよ、と。それを常に一致させられるのがベストだけれども、例えば朝、眠くて辛いかもしれないけれど、その気持ちと身体を切り離して考えることはできないかな?
 と、こういうことを根気よく教える。

 身体の行動が間に合っていれば、心もつられていい方向に行く。心が先に良い状態になっていれば、身体もよく動く。心と身体は二つで一つ。二つで君を形成しているものだから、なかなか切り離して考えるのは難しいかもしれないけど。でも、繰り返し練習すればできるはずだから。と。

 そして自分と他人。
 君のこういう行動は、他人から見たらこう見える、という客観的視点を教えてあげる。第三者の目を意識させてあげること。そして先に説明した、心から切り離した身体を使って、それらに折り合いをつけていくことを教えてあげる。君の心と、その外側の世界の違いを、関わり方を、少しずつ教えていってあげるのです。

ただし目標はあくまで心のままに生きること

 かといって、正しいのは大多数や外の世界で、私達の心の内側が間違っている、などというつもりは毛頭なくて。
 必要な時に最低限、周りに合わせることができればそれでいいと思っています。そう、最終的な目標は、心のままに生きること。今の世の中ならば多分、頑張ればそこそこの能力でもそれができるはず。

 (表面的にでも)周りの人と同じようにできること、は通過点に過ぎず、目的は“心のままに生きる術と能力を身につけること”。これが私自身と、息子への教育の最終目標なのです。