発達障害者(ADHD)への対応方法を考えてみた
よく読ませていただいているブログ、望月志乃さんの『ひびわれたまご ADHD当事者が楽を考えるブログ』のこちらの記事、
でも言及されていたのですが。
今回は、発達障害は1から10まで説明しないと分からない? について、私も掘り下げてみようと思います。
論理的な発達障害者
例としてはこの記事がとても分かりやすいなぁと思ったのですが。
ここまでひどく(失礼!)なくても、同じような感覚は理解できます。クイズなどで面白い回答をしてしまうのも、感覚的な前提が分からない=固定観念に囚われない、という、特性が引き出すものなのかなぁ、とも。でも逆にですね、これって長所であるとも思うんです。もちろん、自身の体験談に基づくので、私や息子程度の障害&知能の人、の前提での主観になってしまいますが。
知的障害のない発達障害は、理解力はありますから、逆に物事の判断基準がきちんとふに落ちれば、自ら正しい行動を選び取れるようになります。
説明しがたきを説明する。これがキモになってくるのではないかと思うのです。
ADHDの息子に、難しいことを教える方法
自閉症スペクトラムがメインで、ADHD傾向も併発しているうちの息子への対処方を例に挙げます。
例えば、うちの息子が今一番困っているであろう対人関係について。自閉症スペクトラムの特徴の一つとして、同世代や大人数と、上手にコミュニケーションが取れないんですよね。息子への教育は、普通に教えるのでも難しい対人関係について、ADHDというフィルターを越えて届けなければならない。だからまずは伝える側が、正確に、言葉にして伝えられるように、物事の本質を真に理解していなければならない。私なんか周りに対して、それができないからお前ら無能なんじゃないか、とか思ってしま(以下略
うちの場合は、“対”を教えるところから始めています。
大きくは心と身体。あなたは一つのものだけれど、心(感情)と身体(実際に現実世界で表す行動)に分けられるんだよ、と。それを常に一致させられるのがベストだけれども、例えば朝、眠くて辛いかもしれないけれど、その気持ちと身体を切り離して考えることはできないかな?
と、こういうことを根気よく教える。
身体の行動が間に合っていれば、心もつられていい方向に行く。心が先に良い状態になっていれば、身体もよく動く。心と身体は二つで一つ。二つで君を形成しているものだから、なかなか切り離して考えるのは難しいかもしれないけど。でも、繰り返し練習すればできるはずだから。と。
そして自分と他人。
君のこういう行動は、他人から見たらこう見える、という客観的視点を教えてあげる。第三者の目を意識させてあげること。そして先に説明した、心から切り離した身体を使って、それらに折り合いをつけていくことを教えてあげる。君の心と、その外側の世界の違いを、関わり方を、少しずつ教えていってあげるのです。