あなたが持つ“発達障害?”とは何なのか。という話
はい。1学期の単位認定試験が終わってから、割とコンスタントにブログ更新できていたなと自画自賛しているMAIKOです。
時間配分の優先順位、分かりやすいなぁ。
ぼちぼち2学期が始まりますからね。書きたい事は今のうちに書いておかないと。
という訳で今日のテーマは『あなたの正体、私の正体』について。
自分を表す言葉が見つからない問題
えーとですね、2、3記事ほど前から私、唐突に“2E”という単語を使い出してしまったのだけれど、まずはその事について。
このブログのタイトルにもあるように、私はギフテッドなのですが、正確には2Eと呼ばれるものに分類される事が比較的最近、判明しました。
ギフテッドは平均より大きく上に外れた知能、という点で例外。
発達障害は平均より発達の差が大きいという点で例外。
その例外をダブルで持ち合わせている、という意味で2重例外=2E(twice-exceptional:二重に特別な/二重の特別支援を要する)という言葉があるのです。
まさに天才と障害の挟間、ですね。
しかしですね、この2Eという言葉に辿り着くまでがほんっとーーに長かった。
だって、このブログを読んでくださっている方だって、知ってました?2Eなんて言葉。
大体、ギフテッドって言葉だって、言うてそこまでメジャーではないですし。なまじ高IQ叩き出したり特定の仕事は得意だったりするから、Wikipediaでギフテッドの項目とか見ても、ちょろっと書いてある程度の2Eとか自分には関係ないと思って華麗にスルーしてましたし。
でも、やっぱり知ると、ギフテッド、っていうよりは2Eの方が自分を表すのに遥かにしっくり来る。
むしろ知ると、ギフテッドの方を自称するのはおこがましいまでありますw
で、ブログのタイトルも変えちゃおうかなーと思ったんですけど、当面はこのままで行く事にしました。
何故って自分がそうだったように、2Eを掲げたところで2Eという言葉を知らない人の方が多い、と思ったからですよ。
このブログを始めた時はそこまで考えていなかったのですが、最近は少しでも自分と同じような、発達障害、精神的マイノリティとつながれるような、そして「ふーん、なるほどねー」程度にでも面白がっていただけるようなブログに出来ればなと思い始めています。
だから2Eよりかは幾分知名度の高い、ギフテッドと発達障害の方をタイトルに掲げておく事にします。入り口として。
そこからギフテッドでも2Eでも自閉症スペクトラムでもADHDでも、はたまた分類しづらいオリジナルな特性でも、このブログから自分を知る手がかりを見つけてもらえればと思うんだ。
人は何故、名付けられたがるのか
自分が2Eだ!と気付いた時、私はほっとしたというか、「ああ、これだ!」みたいなしっくり感があったんですよね。
2Eという言葉を知る前から、数値上では分かっていたんですよ? 自分が高IQと発達障害、両方の特性を持っている、という事は。なのに何故、このタイミングでほっとしたんでしょうね?
人はですね、自分の存在を確定させる時、言語に依存するんですよ。
……んー、ちょっと待って、分かりづらいな……
思考実験的になっちゃいますけど、例えば地球上で最初から生き物が自分一人しかいなかったら、人は自分を自分と認識する事はできないんですよ。おそらく。
比較対象がなければ交流の必要もないので、何かと自分を区別する必要もない。当然、言語も生まれない。
逆に言えば、言葉にする事で、人は社会性を持つんです。
つまり、言葉にする事で自分という自我の存在を世界(社会)に認めてもらえるわけなんですよ。
もちろん、言葉っていうのは通じてなんぼですから、誰も知らない宇宙語で表現しても意味がない。
既に世界に存在する、既に知っている誰かがいる言葉で自分を表現できた時、人は存在を周囲にも認められたと感じ、不安定から安定に転じるんです。
ほら、中学生くらいの時、カッコいい二つ名とかに憧れませんでした?w
『鷹の目』とか『独眼竜』とか『漆黒の○○』とか『音速のソニック』とか←違う
あれも自己表現というか、その言葉の意味が持つカッコよさと自分を同一化できるから、ワクワクの対象になるんですよね。
……ちょっと話が脱線しましたが、“私はこうなんだ”という事を正確に言語化する――もっと言えば、分かりやすくカテゴライズする事自体が、自身の安定につながる、って事ですね。
そう、人はそれを『アイデンティティ』と呼ぶ。
まずは自分の足でしっかり立たない事には、どこに向かっても歩き出せませんからね。
その分、間違った“名づけ”、間違った言葉の解釈をしてしまうと、今度は逆に自分を苦しめてしまう事にもなりかねません。「自分はダメ人間だ」「自分は誰からも必要とされていない」などというレッテルに支配されてしまうと、なかなか抜け出せないのと一緒で、まさに“名づけは呪い”状態になってしまう。
私が臨床にこだわるのはそれゆえで、一人一人を正確に理解したいと思うからなのかもしれません。
ブログに本音を書く社会性育成効果がすごい
こんな風に自分で自分を模索して、書いて、整理して、振り返って、ネットを通じて誰かの目に触れる。
この“誰かの目に触れる”っていうのが大きくて、それこそが今さっき説明した、『自分という自我の存在を世界(社会)に認めてもらえる』、の元になるんですよねぇ。
本音を書くのほんと大事。ただ見栄えよく、綺麗に塗り固めただけのうそんこ記事だったら、私はここまで続けられなかったと思う。
どこかの誰かに本音を聞いてもらえるというだけで、ブログを書くという事には充分な価値があると思います。
でもね、最初の方にもニュアンスが違う感じで書いたけど、最近、ちょっと欲が出てきている自分がいる。
全ての発達障害、精神的マイノリティを救う……なんて言ったらおこがましいですが、そういう人達が世間で大活躍したり、幸せな日常を送れるような手助けができたらいいなぁ、とかうっわぁ!!偽善っぽくて吐き気がする!!(;´Д`)
こういう、いかにも“人のため”みたいな書き方じゃなくて、もっと私らしい書き方ないんかい!
……えーとね。
ぶっちゃけ、興味があるのですよ。
“普通という名の均一性”から外れた人達が、色々悩まず楽しく生きていける世界に。
何故なら、私も息子も、外れ値だから。
それでも私は良い半生を送っていると思うけれども、やっぱり本音でしゃべれなかったり、しゃべっても意図がうまく通じなかったりで、相変わらず心と外界は壁一枚を隔てている。その壁を、少しだけ越えてみたくなった。何を思ったのか、もっと社会性を発揮してみたいと思ったのだ。
それこそ多分、ブログの本音を見てくれた皆様が、私のミジンコみたいな社会性を育ててくれたからですね。ブログすげぇ!!
具体的には、発達障害?が活きる仕事を開発したり斡旋したり、発達障害?が原因で登校拒否の子どもの寺子屋的一時預かりとか、そういうのをやってみたいですね。
……とはいえ、発達障害等の領域はかなり広く、きちんと色々を判断するには、知識も実践もまだまだ足りません。
まずは勉強ですね。もちろん、このブログも続けながら。
何か進展ありましたら、またブログに書き殴っていきます!