【ギフテッドな日々】障害と天才の挟間より速報

動作性IQ141ギフテッド。そんな人の視点から見た世界をつらつらとつづっていきます。

自閉症スペクトラムと麻雀

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 今日のブログテーマは麻雀。

 何故、急に麻雀の事を書こうかと思ったかというと、自閉症スペクトラムの私にとって、麻雀は実世界とつながるための触媒なのだ。
 ということが、先日、旦那との会話の中で分かったからだ。

 敢えてルール説明などもしないし、麻雀をしない人からしたらちんぷんかんぷんかもしれないのですが、麻雀というゲームの内面的魅力について言及しています。もし気が向いたら、麻雀を知らない人、知らないけど少しだけ興味がある人にも読んでいただけたら嬉しいです。

麻雀は状況判断のゲーム

 麻雀というゲームは4人で行い、14の手牌を使って手役を作り、アガったプレイヤーがその役に応じた点数を受け取る。点棒を取ったり取られたりしながら、終了時に一番多くの素点を持っているプレイヤーの勝ちになる。というゲームだ。

 こう書いてしまうと簡単だが、ゲーム終了までにはさまざまな駆け引きがある。手組み一つとっても、打点の高さを狙うのか、手広さを狙うのか。鳴いて早さを求めるのか、手牌を短くするなら、相手から攻められた時の防御はどうするのか。

 そこに状況も絡んでくる。ゲーム後半で点棒を多く持っている状態では、極力相手に振り込まないように安全牌を多く抱えながら打ったりする。逆に点棒が少ない時は、多少無理をしてでも高い手を作らなければならなくなる。絡んでくる状況は前半後半だけではなく、まだ自分に親番が回ってくるか、トビ寸前のプレイヤーはいないか、明らかに高い打点をテンパイしているプレイヤーはいないか。それをかわしに行くのか、オリるのか、真っ向勝負に行くのか。配牌によっても、その局、自分がどう振る舞うのかが変わってくる。

 こうして書き出していくときりがないが、とにかく麻雀というゲームは状況判断の連続なのである。

人の個性が映し出される麻雀

 状況の判断には個性が出る。状況判断の機会が多いということは、個性の介入余地が多い、ということでもある。

 突き詰めて言えば、麻雀もうまくなればなるほど無個性になっていく(一部例外あり)。店によって違うルールに合わせ、確率、効率を突き詰めて、正しい判断を重ねていけば、おのずと勝率は上がっていくからだ。私の活動範囲の店舗に限って言えば、点5の店よりもピンの店のお客さんの方がその傾向が強い気がする。レートが高くなればなるほどシビアに打つのは、当然と言えば当然なのだが。

 私は点5の店の方が好きだ。
 その行きつけの点5の店が特別なのかもしれないが、とにかくお客さん皆が楽しんで、和気あいあいとしている。博打に来ている、というよりも、遊びに来ている、という感覚の人が多いのだろう。卓内での冗談や会話もよその店より多い方だと思う。

 だからなのか、わりと皆、自分の好きなスタイルで打っている気がする。
 つまり、打牌や雰囲気から、その人の内面が感じ取りやすいのだ。もちろん前述したような、シビアに上手い人もいる。けれどもそういう人達ですら、あらゆるスタイルの人が集まるこの店では個性なのだ。

 この状況で行くのか。退くのか。そんな風に打ちまわすのか。
 時には大物手に喜んだり、驚くようなミスをして笑ってしまったり。私は麻雀を通して、同卓した人達の人柄に触れる。

自閉症スペクトラムと麻雀

 人の内面が麻雀というゲームを通して表面化する。実世界を経由する事が難しい私にとって、簡単に他人の内面とつながれる麻雀は幸せなゲームなのだ。

 私は多分、もっとうまく打とうと思えば打てるのだろう。

 実際、たまには純粋に麻雀というゲームを楽しみたくなって、慣れ合いの少ないピンの店に行くこともある。けれども基本的には私はきっと、余計な感情を排除したゲームに徹するよりも、自分や他人の内面を見てつながりたいのだ。

 プロ級の腕前の旦那から見て、私がなかなか上達しないのもそれが故だろう。

 充分に手変わりが望めるにも拘わらず、一緒に打っている皆の反応が見たいがために、待ちの悪いダブリーを打っているうちは下手だと思われても仕方がないと思う。

 私と同じような自閉症スペクトラムの症状を抱えていて、少しでも興味のある方はこの機会に麻雀を覚えてみてはどうだろうか。

 私は20代の頃にハマったスロットも、元旦那と行った競艇もわりとすっぱりやめられたけれど、麻雀だけはやめられていない。やめるつもりもないけれども。

 麻雀に対して良くないイメージを持っている人も多いかと思うが、近年では(酒を)呑まない、(煙草を)吸わない、(お金を)賭けない健康麻雀の需要も高まってきている。ヤクザのたまり場みたいな雀荘があることも事実だが、上で述べた通り、サラリーマンや学生さんの集まる明るい雀荘だってある。麻雀を単なるギャンブルという枠に収めてしまうのは、あまりにももったいないのだ。