大躍進
さて、こちらのブログさんに書いてあったことが私にとってタイムリーで、いい影響を頂けたので今回はそれについて。
好きな事をした方がいい、という、一見、とてもシンプルな意見。
好きな事をすると周りとかみ合わなくなってしまう私にとっては、とても勇気づけられる、背中を押してくれる一言だったのです。
ジレンマに陥った原因が判明
世間一般と私との間に、感覚のズレがあることは最初から分かっていました。それでも一人身である間は、自分の好き放題にやってきました。
しかし一人の子供を育てていく、という責任を負ったが故に。
生活基盤を安定させるため、私と似た性質の息子が将来困らないため、今の社会と共存していく方法を見出さなければ、という意識が強くなってしまっていたのだと思います。
常識が私を縛っていたのではなく、私の方が、“常識”という枠にこだわりすぎていたのかもしれない、と。そう思わせていただきました。
常識的な幸せ≠自分の幸せ
みんなそうだから。みんな我慢してるから。それが普通だから。
同調圧力は呪いのように、私の感性を蝕んでいく。
でも私はそうじゃない。私は我慢できない。私にとってはそれは普通ではない。
独身だろうが子持ちだろうが、関係なかったのです。
それっておかしい、と思うのならば、独身時代同様、そう思う私一人で、自分の感覚を信じてあげればよかったのです。
自分を殺してまで世間の常識と共存する方法なんて、いらない。自分と似た感性の息子に、自分を殺して世間に合わせる方法を伝えて、本当に息子は幸せになれるのでしょうか?
自問自答
Q1.ここに来て、急に前に進めなくなったのは何故なのか。
A1,それは前述した通り、息子を育てていく責任があるため、無茶ができなくなったこと。
Q2.そして何故、ここにとどまることに苦痛を覚えるのか。
A2.現状、許されている限りで前に進んでも得るものがない。本当の意味での仲間ができない。という現実と絶望しかないから。
息子に同じ目に遭ってほしくない、と思っているのに、自身が苦しむような現状に身を置いている私は、いったい何なんでしょう?
決意表明
仲間が欲しい。自分でありたい。
でも、ここで立ち止まっていても、どちらも手に入らないままではないですか。
たとえ仲間ができなくても、“自分であること”はできる。そして自分であるまま前に進み続ければ、たとえ10000人に1人の割合だとしても、どこかで仲間に出会えることだって、あるかもしれないではないですか。
私が生けるしかばねのように働き続けることを良しとしたら、息子にもそれ以上のことを教えられないままになってしまう。
リスクを取らない、冒険しない。
それは息子を“確実に生かす”ことにはなるけれども、たった一度しかない人生において、それ以外の多大なものを失うことになりはしないだろうか。
私は自分に正直に生きたいし、息子にもそうあってほしい。
それがたとえ世間が言う、幸せの方程式から外れていたとしても。