【ギフテッドな日々】障害と天才の挟間より速報

動作性IQ141ギフテッド。そんな人の視点から見た世界をつらつらとつづっていきます。

子育て夫婦間の関係改善方法について

 最近、面白くてよくお邪魔させてもらっているこちらの方の記事↓

mimosawolf69.hatenablog.com

 単純にコメントで書こうと思ったけれど、長くなりそうだったのでいっそブログで書いてみようと思う。

子供のいる夫婦とは依存で成り立っている関係

 結婚していた当時、私は息子の妊娠、出産、離婚(当時息子2歳)までの間、収入の全てを元旦那に頼っていた。この時点で“金銭的な依存”が成立する。
 一方、元旦那は家の事は(つわりがひどくて、私が家事をできなかった時期を除き)全て私に任せていた。元旦那側からみても“家事的、子育て的な依存”が成立する。

 自分の生存活動の一部を他人に預け、また預かるということは、いわば運命共同体であり、言い換えれば“相手も自分を構成する一部”だと言える。
 だからこそ相手の行動に口出ししたくなるのだろうし、それは致し方ないことなのだと思う。

 これが逆に、子供のいない夫婦だったらどうだろう?
 女性が自力で収入を得ることができ、男性も家事ができる今の時代、生活費も家事も納得のいく形で折半すれば割と丸く収まるのではないだろうか。

 子供が生まれる事で、親(特に子供を産む事になる母親)一人では生存活動を維持することが難しくなる。
 だからこそ“結婚”という、夫婦二人が自分達の子供を協力し合って育てるための“契約”があるのだろう。

 あくまで個人的な見解だが、子育て世帯には金、家事のような、“物理的な依存がある”、という前提で話を進めていきたい。

健康的な依存は難しい?

 引用させていただいたブログにもある、健康的な依存とは何だろうか。

 それは上記で説明した“物理的な依存”ではなく、“精神的な依存”で表される事なのだと思う。しかし子育て夫婦はこれがうまくいかない。子育て夫婦が最初から物理的な依存で成り立っている以上、“相手も自分を構成する一部”だからだ。

 旦那が家事育児に協力的でないとか、妻の料理が手抜きだとか、そういう不満は“自分を構成している一部(例で言えば、無報酬の仕事に費やす時間、普段の食事など)が、自分の思うようにならない”という不満から来ているように思う。

 じゃあ少し大人になって、自分は自分、パートナーはパートナー、と考えればいいのかというと、それもなかなか難しい。既に“物理的な依存”という関係が前提にあるから、完全に分けて考えることができないのだ。

 “お互いに感謝の気持ちを持ちましょう”みたいな精神論はもっともである。しかし子育て夫婦間(に限らず、同居の親などの場合も)で時にそれができなくなるのは、この“自分を構成している一部”である部分が大きいように思う。

我が家の例

 ブログ中では旦那、と表現しているが、私と旦那はまだ結婚していない。彼氏と彼女の間柄である。だから経済的にもそれぞれ独立しているし、同居でもないので家事の分担もない。物理的な物、行動における依存関係にないので、相手のありのままを認めることができる。

 では私と、同居中の母親の間はどうか。
 シングルマザーである私は格安の料金で実家に住まわせてもらっている。晩御飯は平日は母が作り、片付けは私。土日は逆になる。洗濯物は自分達が使った物を分けて回すようにしている。こうして書いてみると、同居ではあるが、あまり依存度は高くない。

 しかしこの依存度が下がったのは、炊事や洗濯に対して、上記のようなルール設定を行ったから、という部分はあると思う。家事の分担があいまいだと、たまたま多く担当する側(私はおおざっぱ、母は几帳面なので、この場合は母)が不満を溜めやすくなる。

 子育てに関してもそうだ。
 息子と私の性格特性が判明してからは、その特性に当てはまらない母は、あまり余計な口出しをしなくなった。また、自分が関わっても良い事はない、と判断した時や、なにか私の行動に気に入らない部分があった時などはさっさと二階の自室に引き上げてしまう。そして私もそれでいいと思っていて、敢えて声を掛けに行くことはしない。

とりあえず解決法

 ここまでで判明した事をまとめると、

①“お互いに感謝の気持ちを持つ”という理想に行き着くには、まず相手を認めることが必要になってくる。

②物理的な依存度が高い相手ほど、相手に不満がある場合に認めることが難しい。

③不満の解消にはルール設定が効果的。

 ということになる。


 まとめとして、③のルール設定について少し掘り下げてみたい。

 ルール設定、と言っても、不満の本質を明らかにした上でルール設定をしなければ意味がない。

 必要なのは『ここが改善されれば納得できる』『これくらいならやってみようか』という双方の納得感だ。

 例えば、単に表面的な決め事として、皿洗いを旦那さんにやってもらうルールを設定したとしよう。

 するとよほど理解のある旦那さんでない限り、「仕事で疲れているのに、何で家でまでこんな事しなきゃならないんだよ」となる。そしてその態度を見た奥さんも「そんなに嫌々やってんならもういいわよ!」となってしまう。

 だから新しくルールを設定するなら、お互いの現在の拘束時間や疲労度、ルール遂行に掛かる労力、してもらいたい理由など、あらゆるものを天秤にかけた上で不公平感がないように決めなければならない。

 物理的な行動を伴わないルールに関しても同様だ。相手の、どうしても理解できない行動に直面した時の対応(私と母の例で言えば、別の部屋に行く、放っておく、など)などもルール化してしまえばいい。


 そのためには夫婦間での、冷静な話し合いが必要だ。

 不特定多数が参加する会社のルールなどなら、どうしても合わなくて退職する人もいるだろうが、夫婦間での取り決めなら、たった二人が了承すればいい話だ。深く深く話し合いを進めれば、適性なルールを決めることもできるのではないかと思う。


 今振り返って、離婚した元旦那とそれができたかと言えば分からない。
 当時はすぐにキレる旦那の行動原理が理解できなかったし、理解できかけた頃には私の精神面が持たなかった。夫婦仲の修復にも時間切れはある。まだ間に合うのならば、出来る限り早急に処理されたい。