【ギフテッドな日々】障害と天才の挟間より速報

動作性IQ141ギフテッド。そんな人の視点から見た世界をつらつらとつづっていきます。

『老いては子に従え』を理詰めで解いてみる

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 最近、老害化する自分の親についてや、親の価値観が子供に影響を与える、みたいな内容の記事を書いているので、ここらで一つ、古い価値観と新しい価値観、どちらを優先するべきかみたいなことを書いていきたいと思う。

「最近の若い奴は……」が代々続く理由

 いつの世も、若い世代は人生の先達に「最近の若い奴は……」と言われてしまうらしい。

 なぜそうなるのかを紐解いてみると、人間心理と世界の関係性が垣間見えて面白い。

 若い世代は、“今現在、この時点での世界”の影響を素直に受けて育つ。

 すると、今現在の世界が彼らにとっての普通、いわば価値を計る際の基準となる。若い世代は“現在”を基準として、良いもの、足りないものを見出す訳だ。

 例を挙げれば、【探せば仕事はどこにでもあるし、無理をしなくても生きていける(基準)→仕事をするよりもプライベートな時間をもっと取りたい(足りないもの)】とか【女性も普通に働ける、子育てに手を掛けたい(基準)→皿洗いや掃除を自動でやってくれる家電が欲しい(足りないもの)】などなど。

 その足りなさを埋めてくれる全自動家電は、“現在”の世界に足りないものに気付いた者がいたからこそ、発明されたものだ。

 “過去”の世界を基準として育った人間は、多くの場合、“現在”の世界に足りないものに気付かない。
 “過去”の世界を基準として計れば、“現在”の世界はおそらく、充分に足りたものとして映るからだ。

 これがいわゆる、ジェネレーションギャップというやつだ。

 若い世代が純粋に、“現在”に足りないものを埋めていく行為は、“過去”が基準の古い世代から見たら「贅沢」「甘えている」と映ってしまう。あるいは「訳が分からない」と。

「訳が分からない」ものの例を挙げれば、今で言えば『Tik Tok』などだろうか。

 古い世代にとっての「訳が分からない」ものは、“過去”が“過去”を相対的に良くしようとした結果、生まれてしまった歪みを埋めようとする行為だ。

『Tik Tok』はクリエイティブな自己表現の手段を、誰でも簡単にできる形で提供してくれる。

 一昔前の、年功序列、生涯雇用という『誰もが足並みをそろえて安定的に生きていける』システムは同時に、自己、個性の抑圧をも生み出した。その歪みを敏感に捉えた当時の若い世代が、順を追って、SNS、ユーチューバ―などの存在を受け入れていった。『Tik Tok』もその延長線上にあると私は感じている。

 各世代が見てきた基準の差異と、足りないものを埋める行為。
 この二つの基本構造がある限り、いつの世からも「最近の若い奴は……」という言葉はなくならないだろうと思う。

若い世代の意見に共感できなくなったら要注意

 世界は日々更新されていく。常にその世界に足りないものを埋めながら、そしてまたどこかで新たな歪みを生じながら変化し続けている。

 なので当然、個々人もその時代の変化についていかなければならない。極論、今の世の中で武士を名乗って刀を振りかざしても通用しないのと一緒だ。
 古いままの価値観を捨てろとは言わないが、それが現在でも共通認識されている正義かのようにふるまうのはいかがなものだろうか。

 もちろん、古いものの中にはいつの時代にも通じる価値あるものもたくさんある。だがそれは“価値観”ではなく“真理”と呼びたい。

「最近の若い奴は……」という言葉の裏に隠された心理を突き詰めると、“自分を否定するな”に通じるのだと思う。

 現在に足りないものを埋めていく若い世代は、古い世代から見たら、自分が生きた時代には得られなかった贅沢を求めているように見える。

 中にはそれを見て「いい時代になったね」と言える人もいるが、いわゆる老害と言われる人々は「贅沢」や「甘えている」、あるいは嫌味混じりの「楽でいいよね」というような言葉で若い世代を攻撃する。他人を攻撃するのは基本的に、自分を守る心理が働くためだ。では彼らは何を守りたいのかと言えば、“過去”を苦労して生きて培った自分の価値観。すなわち自分自身のアイデンティティだ。(彼らから見て)ワガママで贅沢な若い世代の意見は、自分自身を否定されているように感じるのかもしれない。

 自分達が生きてきた時代に足りなかった部分を浮き彫りにされ、勝手に更新しようとしてしまうのだから、老害達が若い世代を攻撃したくなる気持ちは分からなくもない。

 だが人間が社会を築いて文明を発展させている以上、世界の変化は避けられない事だ。

 共感できないのは仕方のないこととしても、若い世代の意見を受け入れられなくなったら、自分が時代に置いていかれかけていることを疑った方がいいだろう。

古い価値観よりも変わらない真理を

 生きていれば価値観など二転三転する。

 歳を重ねるほど価値観を変えるのは難しくなる、というのは、もう価値観を変えるほどの新鮮な出来事に出会えない、もしくは(これまでに築いてきた価値観の強さゆえに)気付けないからなのかもしれない。

 新しい世代が正しいのだから古い価値観は改めるべき、とまでは言えないし、どちらが正しいというものでもないと思う。
 だが新しい価値観は世界を、未来をより良いものに更新していってくれる。

 であればこそ古い世代には、自己正当化のために足を引っ張るのではなく、一緒に世界の発展を喜んでもらいたい。

 古い価値観を押しつけられるよりは、長い人生の中で培ってきた“真理”を教授していただきたい。

 それこそが歳を重ねてきた世代だからこそ得られた、新しい世代に誇れる“真に価値あるもの”だと思うし、“真理”を体現できている年配の方は世代を超えて尊敬されるものだと思う。