【ギフテッドな日々】障害と天才の挟間より速報

動作性IQ141ギフテッド。そんな人の視点から見た世界をつらつらとつづっていきます。

ギフテッドのつぶやき

 最近、とても落ち着いている。
 人生はただ生きていくだけ、ということが、前よりも理解できるようになったのだと思う。

 これまでの私は、何故あんなにも躍起になって、何かを成そうとしていたんだろう。

 とにかく、とても、とても生き急いでいた。
 生きている間しか私でいることが出来ないのだから、死んでしまう前にやりたいこと、やれること全部やろう、と。

 私は何がしたかったんだろう。


 私は多分、“私が私であること”を誰かに認めてほしかった。
 私だけが知っている、のではなく、誰かに認めてほしかった。


 “みんな同じ” という教育の中で、同じになりきれない。“みんな同じ”という教育の中で、“君は違う”と言われてしまった。私はみんなと同じになりたかった。だから認めてもらうためには、みんなに分かる形で何かを成さなければならないと思っていたのかもしれない。

 34年生きて、「みんな違ってみんないい」と言ってもらえた時に、ちょっとだけ私の世界が動き始めた。

 みんな違うんだ。“違う”ことが“同じ”なんだ、と、少しずつ理解をし始めた。

 ありがたかった。初めて私も、世界の仲間に入れてもらえたような気がした。

 それが最近になって、本当にふに落ちてきたのだと思う。


 誰かに認めてもらえるだけで、世界は変わる。

 私はそれを、身をもって体験した。

 生きているうちに世界とつながるために、生き急ぐ必要はなくなったのだ。何かを成す必要はなくなったのだ。

 散々自分のやりたいようにやってきたけれども、その“何か”がなんなのかは分からなかったし、その“何か”を成したとしても、私は世界とつながれなかったかもしれない。

 いや、もしかしたら。

 ありのままの私を見た上で、周りの他の人達のことも見た上で、本当の「みんな違ってみんないい」を誰かに言ってもらうこと。それ自体が私の成したかったことなのかもしれない。


 もう、何も成さなくていい。今、この瞬間の、死ぬまでの過程を私らしく生きていくだけでいい。