【ギフテッドな日々】障害と天才の挟間より速報

動作性IQ141ギフテッド。そんな人の視点から見た世界をつらつらとつづっていきます。

「命を大切に」って言うな

なんかさ。

レイプ被害とか就職失敗とか、それが転じて鬱になってしまった人とかが自殺してしまった時に、その人や似た境遇に置かれている人に対して言われますやん。
あるいは歌や詩や啓発とかでも。「あなたの大切な命を無駄にしないで」みたいな意見。

これ、いい事言ってるようで、どっから目線だよと思うのは私だけなんですかね。

そこまで追い詰められてしまった人たちが、命を大切にしなかったとでも思っているんですかね。

辛い目に遭ったその人達が、その後、必死に生きようとしなかった、とでも思っているんですかね。


自ら死を選ぼうと思った人は、間違って植えつけられた認識を変える事ができなかったり、心に深く負った傷が癒せなかったりしたのでしょう。
前者は、認識を変えるきっかけさえうまくつかめていれば……とは思いますが、それでもその人にかける言葉は「命を大切に」じゃない。

命を大切にしているからこそ、死ぬまで悩んだんでしょうに。

なんとか生きようとして、必死にもがいて、それでも打ちのめされた絶望から「死ぬしかない」ってなったんでしょうに。


そんな人たちに対して、「命を大切にして」「無駄にしないで」って、ホント、どんだけ他人事で上からだよ。これ、裏を返せば、「あなたは命の重みを分かっていない」って責めてるのと同じですからね? 言っている人たちに悪意なんてないだろうし、むしろ善意からなんだろうけれど、これ以上その人たちを追い詰めてどうするんだよ。無知の善意と無意識の正当性主張が一番たちが悪いんだよ。


軽々しくそんな言葉を口にするんならさ。
今にも死にそうになっている人の心に堆積しまくったどぶを掻き出してさ、その「死にたい」の裏に「生きたい」が本当に一つもないのか、確認してからにしようよ。

心の底から、「生きてていいんだ」って言ってやんなよ。

そんで、慰めとか哀れみとかじゃなくってさ。そのまままるごと、「それでいいんだ」って、生きさせてくれる寛容な社会にしようよ。


もしかしたらね、不治の病で必死に生きようとしている人がいて、その人から見たらやっぱり、自殺者や自殺しようとしている人たちは命を粗末にしているようにみえるのかもしれない。

そういう、生きたくても生きられない人たちはきっと、『死』が隣に来たことで、本当に『生』の大切さが実感できた、すごい人たちなんだと思う。

だからね、『死』って本当は、遠ざけちゃいけないものだと思うんだ。もちろん、軽々しく死んでいい、って言っているのではなく。

『生』と『死』って二つでワンセットなのに、「死んじゃダメ!とにかく生きるのが大事!」みたいに『死』だけにフタをしちゃってるから、本質を見失うんだと思う。


そんな現代の問題に加えて、もう一つの問題は、『死』にすがるほどひどい『生』の現実がある、って事だよ。

本来は『死』があるから『生』が活きるのに、最初っから『死』が覆い隠されているから、かえって『生』の可能性が狭まってしまう。「生きているうちにやろう!」という瞬発力が封印されてしまう。それに加えて、レッテル通りの行動やステータスから外れた者を殺しに来るこの現代社会よ。それを、レッテル通りに生きられる人間が、効率化社会のために殺されようとしている人に対して「命を大切にしてね!」って、ちゃんちゃらおかしいわ。


ごめんなさい。思いつくまま掻き出して行ったら、つい、終始攻撃的になった。
私こそ、どこから目線なんだろうな。決して死にたいわけではないんだけれども。