【ギフテッドな日々】障害と天才の挟間より速報

動作性IQ141ギフテッド。そんな人の視点から見た世界をつらつらとつづっていきます。

臨床に勝る発達障害対応などない

先日、幾日かぶりに息子を宿題にたきつけ、付き合ってみた。

ここ数日は登校のストレスが強く、宿題は暗黙的に免除していたわけなのだが、改めていろいろな発見があった。

確かに息子は登校しぶりで突発的に学校を休む上、通常級と特別支援教室を行き来していて、まともに授業を受けているとは言い難い。授業に出たとしても、集中できていない事も知っている。それを差し引いたとしても、思った。


こんなにできないものなのか……と。


だって、言うて小学校3年生ですよ?

自分の体感としては、小学校の授業なんて「わざわざこんなスローペースでやる必要あんのか?」ぐらいに思っていたから、実際に「分からない!」という我が子を見て軽く衝撃を受けた。自分の小学生時代、「算数教えて!」って来た同級生たちはぶっちゃけ自分でやる気がないだけだと思っていた。本当のところはどうか分からないけど。

息子は自閉症スペクトラムADHDだけど、知能的にはむしろ高い方。だから余計に衝撃だったんだよね。


で、どうしたかって話が今日の本題。


発達障害児に勉強を教えてみる

ここでね、親自身が自分の感覚で、親子だからって感情に任せて「なんでこんなのもできないの?」「バカなの?」みたいな事を言っちゃうと機能不全家族、虐待、アダルトチルドレンの第一歩ですよねー。

『“自分の感覚”が正しくて全てで、正しい“自分の感覚”にはみんな従うべき』だと思っている人は毒親になるんだと思ってる。

私自身、今でこそ“他人の感覚”を意識するようになったけれど、もし自分が20歳前後で子どもを産んでいたら……と思うとゾッとしない。


悪い例はこれくらいにしておいて、さっそく結論。


どこで引っかかっていて、どのプロセスを通れば頭に入るのかを見極める。


はい、今回も当たり前の事しか書いてないー!


でもね、この、どこで引っかかっていて、っていうのが重要でして。

間違っても、「時計が苦手」「あまりの出る割り算が苦手」で片付けてはいけないと思うのですよ!



大分前に書いたやつだけど、私と息子の知能検査の結果比較↓

mai-ko.hatenablog.com


私も息子も作動記憶が苦手で、項目間差を見ればお互い20以上ある。基本性質はかなり似てますね。

でも息子は知覚推理(大人で言う知覚統合)が104、私は知覚統合が135。実に30以上あるその差は決して無視をしてはいけない。


つまり、私と息子は表面的には同じ、自閉症寄りの自閉症スペクトラム+ADHD傾向”という特徴を持っているのだが、私が当たり前のようにしている“感覚で捉えて理解する”、を息子は出来ないのだ。

つまり、私が「ははーん、全体授業で頭に入らないとしても、こういう考え方をすれば分かるでしょ!」と、したり顔で自分推奨のやり方をおすすめしても、息子には全然響かない、という事なのだ!


例えば「時計」。
時計の絵を描いて説明したりしたんだけど、どうも、“元の針の位置、進んだ先の位置、短針の時間読み、長針の分読み”を一時的にとどめておいて同時処理するのが苦手っぽい。そして知覚統合(空間把握)も得意ではないから、想像力、視覚で感覚的に捉えて、答えに置き換える事も無理っぽい。


例えば「あまりの出る割り算」。
息子はこれ、夕食のおかずを分ける時とかは普通に解くんだよね。でも知覚統合が低いせいか、計算式になったとたんに出来ない。でもこれは図を用いて理屈を説明したら出来るようになった。多分、掛け算の結果もしくはあまりの数を先にどこかに書き留めておく事で、時計の問題ほどには情報の同時処理をしなくてすむためだと思われ。


こんな具合にね。

息子がその問題を構成する、どの要素に引っかかってしまったのか、って事を考えると、おのずとどうすればいいのか見えてくると思うんだ。


……時計は要素別に分けた上で、九九暗記した時みたいに地道に覚えてもらうしかないんだろうなあ。


その人がその人である事以上に明確なものはない

えー、つまり今回、私が書きたかったのはですね。

とにかく本人を見て、本人の様子から判断しようぜ!って事なんですよ。


例えば「ADHDだからメモを取れ!」っていうのは、本人ではなく、情報とレッテルに基づいた暴論だと思います。


もちろん、メモを取るのは重要ですよ。汎用性も高いと思います。

それでもADHD=メモで解決!っていう方程式はステレオタイプすぎる。似た性質を持つ私と息子の間にさえこれだけの違いがあるのだから、共通の解決法のように謳うのはちょっと乱暴すぎやしないかい、と思ってしまう。昔そんな記事書いちゃったような気がするけど以下略。


綺麗事なんですけどね。私が言っているのは。


一人一人をじっくり見て、本当にその人に合った教育や環境を見出すには、時間も手間もお金もかかります。ぶっちゃけそんな事、やっていられないでしょう。

だから汎用性の高そうな情報に人が集まる。

でも人によっては、その情報、正解じゃないんです。そしてその情報を自分に適用できない事で、「やっぱり自分はダメなんだ」「自分はADHDじゃない別の何かなのか……?」とか、また迷走しだします。


万人向けの風邪薬を作るのも大事。でも個人的には、100人中80人にぼんやり効く風邪薬よりも、たった一人にめちゃくちゃ効く特効薬を作りたいと思ってしまうなぁ。


臨床とか質的アプローチをキーワードに、大学の勉強頑張ろうと思う。