【ギフテッドな日々】障害と天才の挟間より速報

動作性IQ141ギフテッド。そんな人の視点から見た世界をつらつらとつづっていきます。

アイデンティティと取捨選択の関係(そしてオチ)

さて。前回の続きだよ。

mai-ko.hatenablog.com

今の世の中の流れを見ていくうちに、
環境に合わせた取捨選択能力とアイデンティティの形成は、はたして両立するのか?
っていう疑問が湧いてきて、今回は一つ、それについて考察してみようじゃないか、という話です。

手書きメモで考えをまとめるのが面倒で、またまたお酒を飲んだ勢いで書いて途中で寝てしまったので、二日に分けて書いてます。しかもその間、数日空いてます。
それでもよろしければ以下、どうぞ↓↓↓



もうすごいうろ覚えで書くから間違っていたら申し訳ないんだけれど、エリクソンのライフサイクル理論というやつがあって、そこでは青年期の発達課題として、アイデンティティの形成VSアイデンティティの拡散、があるのね。

アイデンティティって、自分自身の存在理由というか存在意義というか、「これが自分だ!」みたいな確信めいたものだと思うのだけれど、これの形成って、人生で一回だけじゃないよね。

青年期の課題とはされているけれども、現代においては青年期に限らず、人生の中で何度もアイデンティティの危機が訪れる。そしてその度に危機を乗り越えて、新たなアイデンティティを形成していく。発達心理学概論の教材にも補足的にそう書いてあった(ような気がする)。


つまりね、我々の暮らす現代は、エリクソンがライフサイクル理論を確立した時代とはもうだいぶ異なってきていると思うのですよね。

人間の寿命が昔に比べてめちゃめちゃ伸びて、一つの技術を身につけたくらいじゃ天寿を全うすることができなくなって、しかもそのたった一つの技術(アイデンティティ)でえらい長くやってきたものだから、それがぽっきり折れてしまった時にはもう立ち直れない……という弊害が実際に出てきているのですよ。

それを受けて、MAI-KOさんは考えました。

アイデンティティってすごい大事で大層なものに見えて、実は“今”を生き抜くための、一時的な指針に過ぎないのではないかね?と。


生き抜くための技術や基本情報がすごい速さで変化していく、情報化社会の今であればこそなおさら、ですよ。

向こう3~5年くらいは大丈夫だけれど、10年後には正直、今のままで通用するかは分からないよねー。みたいな?

もっと分かりやすい例で言えば、仕事をバリバリこなす事が生き甲斐の会社員が、ある日突然交通事故に遭って半身不随になる。もう一生、自らのアイデンティティであった仕事には復帰できない。はい、アイデンティティ拡散。

これから先の世の中は急激な技術・文明の発展によって、そういう事が誰の身にも起こり得る、って事だと思うのねん。


だから青年期、もしくはそれ以降に確立した一つのアイデンティティ固執せず、状況に応じて、それを変化させたり再構築したりする柔軟さが必要なんじゃないかな、って思うんだ。


先の、事故に遭った会社員の例で言えば、いつまでも五体満足であった時のアイデンティティに縛られているから苦しくなる。
まずは現実を、精神的な内部の感情ではなく物理的な外部の状況を受け入れる事だ。そこから柔軟に、また新たなアイデンティティを構築していけばいい話じゃないの。
今までの仕事ができなくなったからといってあなたはクズじゃないし、立派に考える頭と、それを表現するコンピューターも現代にはある。そういう人達のための仕組みなんだから、障害年金も受給すればいい、とも思うよ。

ほら、アイデンティティなんて状況に応じて、いくらでも作り直せるんだ。というか、作り直さなきゃいけないんだ。それができなければ死ぬんだから。


……と、ここまでが酔って書いた文章ね。以下、今日の私。


前回の記事にね、いつものミナコさんがコメントしてくれたの。

アイデンティティがある程度確立しているから
取捨選択できるのと、また、取捨選択し続けることはアイデンティティの確立に繋がるんだと思います。


Σ(・□・;)


……一見、上記で酔っ払った私が書き殴ったのと似たような事を書いているように見えますじゃん。

でもね、今回のお題、
環境に合わせた取捨選択能力とアイデンティティの形成は、はたして両立するのか?
って、“私自身が”環境に合わせた取捨選択を繰り返すほどにアイデンティティが拡散していく、と思ったのがきっかけなんですよ。

なんでそう思ったかって、一般的に現代では、自分よりも環境の方が平均的で理想的な答えになっているから。

何言ってるかよく分かんないですね。自分で考えなくても、探せば数値化された明確な答えがあるから、正しいのは自分(問い)よりも、環境(答え)という事になる。だから自分を環境に合わせてしまって、アイデンティティ(自分とはこういうものだ)が拡散していく、という事なんですよ。


でもね、ミナコさんが言ってくれているのは、本当にシンプルなんだけど、アイデンティティが取捨選択を生み、取捨選択がアイデンティティを育むという相互補完的な原則。つまり、つまりね……非常にシンプルに、


私はただ単に、アイデンティティの再形成に失敗しているだけなんじゃね?


ってオチ(笑)


ここまで来て気付いたんだけれど、アイデンティティの形成って、多分、ホント、ありのままの自分を認めてあげないとダメなんだね。あくまで予想だけど。

鬱になった時に動作性IQ141ってなって、捉え方も考え方も多くの人とは違うし、それでいいと思ったんだけれど、正しくアイデンティティを形成するためにはもう一つ、抜けてたんだよ。大事なものが。

私、診断が下りなかっただけで自閉症スペクトラムだもん。

まだこの部分をちゃんと受け止めてあげてないから、多分、平均的で理想的な環境に合わせるために苦しくなっちゃうんだぜ。


前半部分で、アイデンティティは“今”を生き抜くための一時的な指針に過ぎない、なーんてドヤってたけど、私自身が全然アイデンティティ形成できてないひよっこだったぜ!( ゚Д゚)


これ以上はテーマが変わってきてしまうので、また次回に~。